河井継之助の誕生~幼少期

河井継之助は、文政10年1月1日、越後長岡藩の同心町で生まれました。(後、継之助が16歳のときに長町に移ります。)

越後長岡藩(現新潟県長岡市)は、石高7万4千石で、越後のほぼ中央に位置しています。

藩主の牧野氏は、三河牛久保出身で、1618年に長岡に入封以来、幕末まで長岡藩を治めていました。

長岡藩の藩是は、質朴剛健を宗とし、「常在戦場」の精神を第一としています。

このため、藩風は実利と実学を重んじ、道理を貫く、という風土でした。

幕末期の長岡藩の動向は、この藩風の影響も大きかったと思います。

継之助の父親は、河井代右衛門秋紀(かわい だいえもん あきのり)と言い、長岡藩の勘定頭などを務めた有能な藩士でした。
文化人としても知られ、あの良寛とも親交がありました。

母親は、貞(てい)と言い、当時の女性としてはめずらしくそろばんが得意で、気丈だったそうです。
継之助はこの母親から、その気質を継いだのかもしれません。

継之助の幼少時代は、親の指図は聞かず、負けず嫌いで、非常に腕白だったそうです。

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